皮肉が好きな人は、優れたショールームの目的はあくまでも販売だと言うかもしれません。しかし、勇敢な人たちの手にかかれば、ショールームは人々が当然だと思っていたこと、あるいは理解していなかったことを再認識させる可能性を秘めています。そして多くの場合、人々を楽しませることができます。まずはこの点から始めましょう。
家具のショールームについて最初に頭に浮かぶ形容詞として、「奇抜」や「楽しい」という単語は一般的ではないでしょう。しかし、1961年5月、Hugh De Preeはこれらを口にしました。間もなくHerman Millerの社長に就任した彼は、マンハッタンのミッドタウンに新しくオープンしたショップ、Textiles & Objectsを称賛していました。
1952年からHerman Millerのテキスタイルプログラムの創設ディレクターを務めていたAlexander Girardは、Herman Miller初の小売店の設立を任されました。Girardらしさを反映し、明らかに商業よりも「奇抜さと楽しさ」を優先した、色と柄の狂詩曲と呼ぶべきものが誕生しました。例えば、ショーウィンドウには、ストイックなEamesラウンジチェアなどの看板製品ではなく、ロサンゼルスのMarilyn Neuhartの作品である、とても魅力的なハンドメイドの人形のコレクションを飾りました。T&Oの棚には他にも、Girardが米国、トルコ、ポーランド、ポルトガル、イタリアを旅行中に選んだ多数の民芸品が並んでいました。
T&Oをきっかけに、Girardは人々について考えるようになりました。そして、商品はあらゆる角度で見られ、触られるべきというGirard独自の哲学により、訪問者は魔法にかけられたように心理的な影響を受けました。家にある椅子や枕、ファブリックを、形式的なものではなく、工芸品や人形や思い出と共にあるものとして想像してみましょう。これは、インテリアデザインがますます形式化されていった時代には珍しい、とても寛いだアプローチでした。
ここはGirardにとって初めての遊び場ではありませんでした。1958年、彼は「信頼されるデザイナーに何ができるか」という基準を示すために、サンフランシスコの老朽化したヒッポドローム劇場をHerman Millerのショールームに変えました。その結果、鮮やかなキャンディーカラーのカーニバル風の空間が生まれました。中央に据えたディスプレイは、メリーゴーランドをモデルにしたものでした。これは、あらゆる販売論理を無視したものであり、Millerのデザイナー仲間であるGeorge Nelsonは「付属品としても構造としても、Herman Millerが販売できるものは何も含まれていない」と話したほどでした。それでも、このような遊び心はDe Preeを喜ばせただけでなく、Herman Millerの素晴らしい宣伝にもなりました。
Nelsonが1947年にニューヨークでHerman Millerショールームをオープンした背景にあったコンセプトは、特定の配置と照明を使って訪問者を誘導することでした。現在ではこれは一般的な工夫です。Nelsonは、商品を眺めさせるのではなく空間を旅行させています。
そのために、彼は視線を低く保ちました。ニューヨークのショールームは、彼にとって「ネズミの目線」で世界を眺めるための窓でした。彼は家具を見下ろすのではなく、見上げたのです。Nelsonは1957年のエッセイでこのアプローチについて書いています。彼は「サブスケープ」と名付けた家具の脚の世界を観察し、そこに現代的な高層ビルや、Joan Miróの落書き、現代の高速道路の柱、Calderのモビールのしなやかなアームとのつながりを見出しました。木製の脚から金属製の脚への移行はすべて、文化的な勢いを得て行われました。
ショールームの家具の間に、彼は堂々たる大きな彫刻を配置しました。ニューヨークではNelson自身が手掛けた彫刻を使用しました。(他のショールームにはNoguchiやGiacomettiの彫刻が使われました。)その視点はGirardとは大きく異なっていたものの、「製品」の論理については同じチャレンジでした。彼は、相互に関連し、社会的で、アートやモニュメントと切り離せないものとして家具を扱ったのです。家具を美意識によって判断するだけでなく、使用シーンを想像するよう求められました。(パーティーやもっと大掛かりなイベントなど。)
Nelsonが手掛けたニューヨーク、グランドラピッズ、シカゴのショールームは、Gilbert RohdeによるHerman Miller初の1939年のシカゴショールームを想起させます。Rohdeは、Herman Millerがモダン家具の魔術師としての地位を確立するのに大きく貢献した人物でした。Rohde(およびその後に活躍したGirardとNelson)にとって、ショールームはツールでした。シカゴでは、Herman Millerの家具の直線的でモダンなフォルムと、アメーバ型の切り抜きや下端、湾曲した壁や穴のあいた壁を組み合わせていました。目立たない方法で、流動性と変化の感覚、そして開口部から何かを覗き見るときのドキドキする喜びを称えていたのです。徐々に視界が広がる以上に親しみと魅力を覚えることがあるでしょうか。
このような環境が私たちの印象に残り、それも愛情やノスタルジックな羨望と共に記憶しているのには理由があります。現在の世界では、定型のコンテンツや巧妙な販売の科学がますます蔓延しています。そのため、時には収益を離れて、思慮深いデザイナーの私たちや社会に関する考えを体感したり実験室をさまよったりできるのは非常に稀な体験です。