ハッシュタグ「#raywilkes」に比べ、デザイナー本人のレイ・ウィルクスについてご存知の方は恐らくあまりいないでしょう。このハッシュタグで検索すると、ウィルクスの有名なデザインをはじめ、独特で丸みを帯びたシンプルなシルエットのモジュラーシーティングシステムといった様々な写真が登場します。私が数年前にInstagramで #raywilkes を検索した際に、ウィルクスのどっしりとした一組のクロームのチェアベースを手に入れたベイエリアのヴィンテージディーラーの投稿に遭遇したように、あなたも出逢うかもしれません。ソファのベース部分が独特で珍しいものでした。これは、ハーマンミラーのために制作された試作品で、生産されることはありませんでしたが、私はとても興味をそそられました。
ハーマンミラーがレイのアイコン的なモジュラーソファグループ(チクレット)を新しい世代に向けて再発売を開始した今、レイ・ウィルクスについて詳しく知りたいと思っているのは私だけではないはずです。
![Contact sheet of black and white photographic negative portraits of Ray Wilkes from various angles and orientations. Contact sheet of black and white photographic negative portraits of Ray Wilkes from various angles and orientations.](/content/dam/hmicom/page_assets/stories/why_magazine/reintroducing_ray_wilkes/it_why_reintroducing_ray_wilkes_01.jpg.rendition.992.992.jpg)
ハーマンミラーのプロモーション用写真 1975年頃
![A seven-wide by three-high arrangement of Wilkes Modular Sofa Group Chairs in a variety of colors. A seven-wide by three-high arrangement of Wilkes Modular Sofa Group Chairs in a variety of colors.](/content/dam/hmicom/page_assets/stories/why_magazine/reintroducing_ray_wilkes/it_why_reintroducing_ray_wilkes_02.jpg.rendition.992.992.jpg)
ミシガン州の機知に富んだ英国紳士
「実際、私は全くシンプルなのが好きです」と、レイ・ウィルクスは言います。「それが私の人生哲学と言えます。かつて、ある建築家が私を真のミニマリストだと言ったことがあります。ミニマリズムとは単なる直線というわけではないのです。最も重要なことは、そのフォルムとそれを作るシンプルさなのです」と彼は続けます。
このような物事の捉え方がウィルクスのすべての作品の原点となっていますが、その最たるものが彼のモジュラーソファグループの開発です。ウィルクスは、当時のデザインディレクター、ボブ・ブライヒの下、ハーマンミラーの社員として勤務するためにミシガンに到着した後、工場の製造エリアで新しい成形機、すなわちフォーム(発泡体)を金型に注入する機械の実験を開始しました。「最初、ハーマンミラーの社員たちはこの機械をイームズの家具に使用するつもりでしたが、私に他に使い道はないかと尋ねてきました」と彼は当時を振り返ります。ロードアイランド州でデザイナーのハーベイ・プロバーと仕事をした後に、その技術の要点を学んだウィルクスは、フォームに気泡が入らないようにする方法を考え出しました。
一見、 彼のデザインはハーマンミラーの伝統的なスタイルから逸脱しているように思えるかもしれません。しかし、アーカイブ&ブランドヘリテージの責任者エイミー・アーシャマンは、「これはモジュラーシステムであり、ハーマンミラーはこのシステムに優れています」と説明します。
同時に、ハーマンミラーは、 イームズプライウッド製品に象徴されるように、マテリアルと家具の革新において時代を超越した実績を持ち、その歴史はセクショナルソファを発明したギルバート・ローディの時代まで遡ります。チクレットは、新しいマテリアルと異なる美学が融合された今までにないアイデアです。ポストモダンのように見えますが、不要な部分を全て削ぎ落としているため、時代を超越した作品であると言えます」とアーシャマンは話します。
問題解決のためのデザイン、スリングソファからソフトシーティングまで
ウィルクスはロンドンのRoyal College of Artで家具デザインの第一級優等学位を取得した後、ジョージ・ネルソンのオフィスで働くためにニューヨークに辿り着きました。彼はデザイナーチーム(前述のミホとワイマン、ヒルダ・ロンギノッティ、ロン・ベックマン、ビル・カンナン、アーヴィング・ハーパーなどと共に)に加わり、新しい家具、 スリングソファのトラブルシューティングを任されました。
「デザインが決まったら、それを活かす責任が私にはありました。フレームに取り付けられている張地に問題があったため、私は簡単な調査を行いました。ゴムの敷布を製造しているイギリスの会社があったので、それをクッションの下にウェビングの代わりに取り付けました。ジョージは私に「ありがとう」と言いました。というのもMoMAに収蔵されるこのソファのために私が一役買ったわけですから」と、ウィルクスは振り返ります。
ジョージ・ネルソンの下で3年間過ごした後、ウィルクスは英国に戻り、その後再び米国に戻りました。最初はロードアイランド州でプロバーと共にしばらく働き、 その後ミシガンでハーマンミラーの社員として採用されました。ハーマンミラーで勤務していた時代はクリエイティブの面でもプライベートでも充実していました。仕事中に同社ショールームで働いていた現在の妻、フィンランド人デザイナーのアニトラ・セイタモに出逢いました。
ハーマンミラーのためにデザインした彼の試作品の中には、販売されなかったものもあります。ウィルクスは、木製デスクシステムについて「Action Officeの代わりで、私にとっては非常に淡泊な作品です」と説明しています。彼のアイデアは、1970年代半ばに新しいオフィスのランドスケープに焦点を当てていたため、実行することが困難でした。「マーケティング部門は常にActionOffice IIに熱を入れ、張地ではなくメッシュを使用した[タスク]シーティングをデザインしていました」と彼は述べます。
オフィスビルのロビー用の補助的な製品として導入されたものが、住宅のあらゆる空間で使用できる快適性と汎用性を備えています。2シートソファ、3シートソファのオリジナル製品は、Bi-Rite Studio、Home Union、 Circa Modernなどのショップに並ぶとすぐに売れる傾向があります。アーシャマンは、ハーマンミラーに入社するためにミシガンに引っ越した際、Craigslistで自身のヴィンテージのチクレットアームチェアとラブシートを見つけ、「最も成功を収め、世代を超えて愛されている私たちの製品は、デザイン性に優れ、どのような状況でも必ず優れたパフォーマンスを発揮します」と話します。