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ハーマンミラーのポスターチャイルド
グラフィックデザイナーのスティーブ・フリックホルムにとって、ハーマンミラーでの生活は、本当にピクニックのようなものでした。
ポスターが、現在でも、あなたが70年代に描き始めた時と同じように意味を持つことは可能だと思いますか?
優秀なポスター、アイデアをちゃんと伝えているポスターは、今でもまだ意味を持っています。非常に多くの種類のポスターがあります。情報を提供するポスター、販売促進のためのポスター、記念ポスターなどです。私にとって、ポスターは切手のようなものです。大きいことを除いては。そしてポスターは大きい方がいいと思います。24 x 36インチ(61 x 91センチ)以上か、もっと大きい方がよいのです。
先日、アン・サットン(ハーマンミラーのグラフィックデザイナー)と私が新しいデザインに取り組んでいた時、私はこう言いました。「ダウンタウンのクラブへ行きましょう。窓に貼ってあるポスターを見て欲しいのです。通りの向かい側に渡って、どのポスターが目につき、それがなぜかを教えてください。優秀なデザインのポスターは、道の反対側からでも読めるのです」
モニターを見つめて作業しているデザイナーが自分のデザインに惚れこみ、最高だと考えるのは簡単なことですが、実際にその小さな作品を持って行って、何千ものデザイナー達の同じような作品の中に入れたら、単調な海の中に沈んでしまうでしょう。何がデザインをユニーク、斬新、独創的、想像力豊か、そして感動的にしているのでしょうか?集団の中であなたのデザインを際立たせる、その特質とは何なのでしょうか?その次元は、それをデザインした人から発せられるのだと思います。もし道理にかなっているのであればね。デザインは、存在感がなければなりません。
スクリーンで確認できるイメージに簡単に惚れこむのと比べ、素材に触れるアナログ式な作業は、ポスターのデザインにとって有益なことだと思いますか?
自分のキャリアの早い時期にコンピュータで作業することを学ばなかったことに本当にがっかりしています。素晴らしいツールですから。同時に、はさみや鉛筆、そしてテープ、さらには接着剤、クレヨン、写真をあまり使ったことがない若手のデザイナーにとって、アナログ作業を理解することは、心地よくないことだと思います。デザインをコンピュータに実際に入力して完成させて印刷できるようにファイルに保存する前に、コラージュをすることに私は価値を見出しています。アナログとデジタルは両方共に重要です。
今までは、アナログ作業で午前中ずっと新しいポスターに取り組んでいましたが、もうコンピュータに入力しましたから、これからは速くなります。もちろん、コンピュータに気を散らされることもあります。
“私にとって、ポスターは切手のようなものです。大きいことを除いては。そしてポスターは大きい方がいいと思います。”
- スティーブ・フリックホルム
あなたはハーマンミラーに45年も勤めています。長いですよね!
たまたまです。7年前に退職した同僚に偶然会ったときに、彼に「ハーマンミラーはどう?」って聞かれたのです。それでこう答えました。「そうだね、今より10才若かったら、もっと長く勤めることができるのに」ってね。
以前のインタビューであなたは、ミシガンにとどまるとは最初思っていなかったと言っていました。
私は、アメリカ中部で育ちました。成長期はカンザスで過ごし、その後、美術学士号を取るためにブラッドリー大学へ行き、そして平和部隊としてナイジェリアで2年働いてから、デザインの修士号を取るためにクランブルック・アカデミー・オブ・アートへ行きました。その後、太平洋岸か大西洋岸のどちらかで働きたかったのです。ただ単にここから出たかったのです!ニューヨーク、LA、サンフランシスコが刺激的な場所でした。
でもあなたはミシガンにとどまりました。
ハーマンミラーでの仕事のオファーがあったら、試してみるべきですからね。
なぜクランブルックアカデミーを選んだのですか?
クランブルックは奨学金を出してくれたので、行きました。私が入学した頃は、グラフィックデザイン業界で評判が高いデザイナーの少なくとも75%は、カリフォルニアのアートセンター出身でした。そのアートセンターが、私を2年生の2学期から受け入れてくれましたが、私は「何か誤解があるようです。私は大学院に申し込んだのですが」と返事を書きました。そうしたら、「誤解ではありません。入学して、カリキュラムを取るように。以上」と返事が来ました。それでクランブルックへ行きました。その後1992年に、アートセンターは、トヨタの著名人によるレクチャーシリーズで講演するように私を招いてくれました。
おもしろいですね。講演中にその話はしましたか?
話をしただけではなく、例の手紙を読みました!
ハーマンミラーに引き寄せられたのは、その「デザインのDNA」が理由ですか?
最初にクランブルックへ行ったときは、ハーマンミラーについて何も知りませんでした。しかし学部にはたくさんのグラフィックデザイナー、プロダクトデザイナー、環境デザイナーがいたので、ハーマンミラーの年に一度のセールにみんなで行き、イームズのチェアやジラードの布地などの宝物を学校へ持って帰っていました。これで初めて、ミシガン州のジーランドにこの小さな企業があることを知ったのです。私が面接を受けるためにボストンにいたとき、ハーマンミラーからの電話があったと両親が知らせてくれたので、ハーマンミラーに電話しました。ハーマンミラーは、社内にグラフィックデザイングループを作ろうとしており、私に面接を受ける気があるか聞いてきました。
創造力の観点からみて、社内に長期間勤務することから得られる利益は何だと思いますか?
ご存知の通り、私はとても幸運でした。素晴らしいデザインDNAと寛容さを持ち、オリジナリティを目指して努力する組織に属すことができたからです。40年代から60年代までハーマンミラーのデザインディレクターを務めたジョージ・ネルソンの素晴らしい言葉を思い出します。1948年にネルソンのオフィスがハーマンミラーのために作成した本当に最初のカタログについて、デザイン評論家のラルフ・キャプランがハーマンミラー社長のD.J.デプリーとネルソンにインタビューしたときの言葉です。この業界の誰もカタログを販売したことがない時代に、DJは、カタログの美しさについて、ジョージ・ネルソンにおかしいのではないかと言いました。でもジョージはこう言ったのです。「分かってる。でも、何事にも初めてがあるんだよ」それ以来60年にわたって、これがハーマンミラーのテーマです。別の会社での45年間がどのようなものであったかは分かりません。地獄のようであったかもしれません。だからと言って、会社を辞めることを時々は考えなかったわけではありません。実際に何度か考えました。
言ってみれば、長い関係に縛られているようなものでもありますよね。
その通りです。多くの努力が必要でした。
ピクニックポスターとは別に、あなたの最も気に入っているプロジェクトは何ですか?
ピクニックポスターの次は、多分、数多くのアニュアルレポートです。これらは素晴らしいですよ。自分で言うのも何ですが。クラーク・マルコム(ハーマンミラーに長年在籍するライター)と一緒に仕事をしていたことや、これまでの他のライターと一緒に仕事をしていたかどうかに関係なく、私は、ハーマンミラーのアニュアルレポートは、たまたま数字が載っている、会社の可能性を示す作品としていつも見ていました。ひとまとめにみて、このアニュアルレポートは非常に素晴らしいです。その中のいくつかはずばぬけて優れているし、他はそれ程ではないですが、私はいつも最善を尽くしてきました。
アニュアルレポートは、人気がありました。
以前は人気がありましたし、かなりの予算が使えました。もちろん、良い年と悪い年がありました。良い年は、たいてい悪い年よりも予算がありましたが、それでも私たちはオリジナリティを持っていつでもデザインしました。
“デザインをコンピュータに実際に入力して完成させて印刷できるようにファイルに保存する前に、コラージュをすることに私は価値を見出しています。アナログとデジタルは両方共に重要です。 ”
- スティーブ・フリックホルム
悪い年はどのような感じでしたか?
ある年は、業績があまりにも悪かったので、ゴミ袋にアニュアルレポートを印刷したいと思いました。実際に出来ることは分かったのですが、期限が足りなくて実現しませんでした。それが、私たちと共に「嵐を乗り越えた」忠実な投資家への感謝の気持ちを込めて、表紙に安価なレインコートをつけた年でした。
これらから年月が過ぎましたが、あなたは今でも、グラフィックデザインはエキサイティングだと思いますか?
はい、思います。デザインしているときは楽しいです。グラフィックデザインの素晴らしい作品を見たときは、嬉しいし、インスピレーションを受けます。でもパフォーマンスアートはもっと広がりがあるので、心から楽しんでいます。静的ではありませんし。だからグランドラピッズバレエのパフォーマンスに関わって、楽しんでいるのだと思います。心臓がいつもよりドキドキするんです!
最初のピクニックポスターを再印刷することについてどのように感じましたか?
楽しかったです。たくさんの思い出がよみがえりました。草木の匂いまでもが同じように。20枚のオリジナルポスターすべてを印刷してくれた印刷工が戻ってきて、印刷してくれました。大きな新しい4色刷り印刷機を見ることは、本当に楽しかったです。これをどうしよう!と、ひそかに思いました。
何とかするべきですね。
多分何とかします。