Girardの輝かしい足跡
Herman Millerテキスタイル部門のデザイナー兼創設ディレクターの世界が包括的に深く掘り下げられている、Phaidon出版の書籍「Alexander Girard: Let the Sun In」からの抜粋をご紹介します
作者:Todd OldhamおよびKiera Coffee
Foreword by:Molly Singleterry
写真とスキャン:Girard Studioおよび
Todd OldhamおよびJason Frank Rothenberg
発行済み:2024年10月29日
1952年、Alexander Girardは、Herman Millerに新たに設立されたテキスタイル部門の創設ディレクターとして、最初のコレクションを発表しました。それは、ソリッドカラーの実用性の高いテクスチャに、ストライプやダブルトライアングルなどの幾何学模様を組み合わせた、明るくおおらかな色使いのコレクションでした。「明るい原色を見ようものなら、人々は気絶するほど驚くのです」というのは、当時の彼のコメントです。他の多くのデザイナーたちと同様に、Charles&Ray EamesとGeorge Nelsonも自分のデザインにふさわしい張地を見つけるのに苦労していました。当時は落ち着いたモノトーンの控えめなファブリックが主流だったからです。Eames夫妻は、創業者であるD.J.De Preeに、Herman Millerが手掛ける革新的な家具にマッチするような張地の実現に向けてテキスタイル部門の設立を進言し、そのディレクターに就任したのが、彼らの友人でもあったGirardでした。「プロダクトにしっくりくるものを作ることが、Herman Millerにおける私の役割だと理解してます。そして、常にそれを目指しています」と彼は述べています。
Girardは、わずか20年間で当時の常識を打ち破るようなユニークなデザインを300点以上生み出し、「モダン」の意味を再定義しました。多種多様なテキスタイルは、組み合わせと用途に応じて無限のバリエーションを提供する、柔軟なツールそのものでした。しかし、それは彼の創造的なパズルのほんの一部に過ぎず、Charles&Ray EamesやNelson、さらに前の世代のGilbert Rohdeのように、Girardはマーケティングやセールス、仕様、販促資料など、会社のさまざまな部分に影響を与える壮大なアイデアを持ち合わせていたのです。
Todd OldhamとKiera Coffeeの共著によるモノグラフ「Let the Sun In」の抜粋からもわかるように、Girardの関心は幅広く、その発想は多岐にわたるものでした。彼はHerman MillerのためにニューヨークのTextiles & Objects Shopのような没入体験型ショップを手掛けただけでなく、最初はミシガン州グロースポワントで、そして後にニューメキシコ州サンタフェで、家族とともに豊かな生活を送っていました。彼のデザインスタジオはプライベートスペースと融合されており、親しい友人の中にはアートや家具を手掛ける著名人が多く含まれていました。この抜粋では、Girardのスタジオスペースに焦点を当て、彼のデザインプロセスと、さまざまな分野や媒体にまたがる卓越した成果を紹介しています。Girardは、「お気に入りの素材はありません。巧みに使いこなせばどのような素材からでも美を生み出せるのです」という、デザインに対する自身の姿勢を表すような言葉を残しています。
建築家、アーティスト、デザイナーとして50年以上のキャリアを誇るAlexander Girardのスタジオは、製図台やライブラリー、資料庫、展示スペースなどが調和のとれたバランスで配置され、複数の目的に活用できる巧妙に考案されたスペースでした。スタジオスペースを自宅の中に作ったり、自宅に隣接させたり、自宅からそれほど遠くない場所に置いたりしたことが、Girardの成功につながったとも言えます。彼のワークスペースは、彼の個性が散りばめられた場所であり、彼の目に映る世界と彼の生き方を完全に具現化したような空間でした。これらのワークスペースは常に流動的で、各プロジェクトのニーズに対応するためにハーフウォールの位置は絶えず変更され、デスクとストレージ構造は頻繁に再設計されていました。1つのスタジオを使用して、一連の美術展が開催されたこともありました。Girardのスタジオは、こうした柔軟に活用できるスペースに加えて、美しさを損なわずに情報を整理する才能が生かされた設計です。まるでアートオブジェクトかと思えるほど魅力的なテキスタイルのサンプルが入った箱、仕切られたマッチブックカバーでいっぱいの魅惑的な引き出しなど、目を見張る芸術的な世界です。
Girardのワークスペースは、彼自身のデザインスキルを駆使して、彼の目に映る世界を私たちに見せてくれます。ミシガン州カーチュバルプレイスのスタジオ 1940年代に設計 では、いくつかの竹製の簾を窓ではない場所に吊るして空間を区切り、プライバシーを確保していました。Girardのスタジオにおかれている家具やインテリアは、友人のCharles Eamesが作った数脚の椅子を除いて、床から天井まで彼自身がデザインを手掛けています。彼がデスクや棚、壁に使用した材料は、安価なものがほとんどでしたが、生み出される空間は常に魅力的なものでした。サンタフェのスタジオを設計したころは、すでに大成功を収めたデザイナーであり、贅沢なマテリアルを買う余裕があったにもかかわらず、Girardは安価な合板をふんだんに使用しました。この数十年後、合板というマテリアルが流行することになります。彼は合板の模倣不可能なパターンと質感に魅了され、大切な素材としての合板 および再利用された木材 に最大限の敬意を払っていたようです。彼は合板を使って、デスクやキャビネット、棚をデザインしました。また、大きな合板パネルを壁紙のように壁に配置し、木のユニークな縞模様を活かした設計を試みました。
Girardのスタジオは、デザイン界に見られる一般的なスタイルではなく、制作が進む作品のようにGirardの好みに応じて刷新され、それはしばしはデザイン業界にトレンドを引き起こしました。合板の流行は、Girardのスタジオが先取りしたトレンドの一例にすぎません。Girardはミシガン州カーチュバルプレイスのスタジオで低い壁を作って部屋を仕切りました。彼は縦枠のみで壁板は使わず、壁の存在を示唆する部分的な構造を作ったのです。これらのスタイルが人気を博したのは、それから10年後のことでした。さらに、Girardがデザインしたすべてのオフィスの外には、最新のデザインコンセプトに合わせたサインが掲げられました。サインには、一貫して彼の名前が綴られていましたが、その仕上げや書体はさまざまで、自立型の目立つものから、玄関ドアに控えめに埋め込まれている目立たないタイプのものもありました。そして、同じデザインや書体が繰り返し使われることはありませんでした。
1947年に設立されたミシガン州フィッシャーロードのスタジオは、Girardのサロンとして機能していました。そこでは月に1回程度、アートや家具デザイン、民芸など多彩なアートショーが開催されました。Girardは、高い評価を受けているアーティストたちとの付き合いを広げており、こうした多くの友人が彼に自分のアートを貸し出したり、Girardを他のアーティストと引き合わせたりするなど、彼の展覧会の成功を後押したと言えます。Saul Steinbergのドローイング展を開催する際には、Charles Eamesの家具をディスプレイに採用しました。Girardは、アーティストの本来の作風や媒体とはちょっと異なる作品を好んで展示しました。Alexander CalderとHarry Bertoiaによるジュエリー、Henry Mooreによるテキスタイル、Picassoのリトグラフなどがその例です。Girardはまた、無名の職人の作品や、民芸品の陶器や織物、彫刻の展示も行いました。それぞれのイベントで使われた招待状は、Girardには珍しいシックなデザインで、およそ5.7cm四方の小さなものでした。各招待状には、超直立型のフォントで描かれたアーティスト名の横に丸みを帯びたフォントの数字を配置するなど、いくつかの書体が使用されていました。印刷されている小さめのテキストは調和のとれた美しい配色で、コレクションしたくなるような美しい列車の切符を思わせる招待状でした。1947年にGirardのミシガンオフィスで開催された展示会のスケジュールは以下ようなものでした。
1月12日 – Charles Eamesの家具。Lilian Swann Saarinenの彫刻と陶芸。Wallace Mitchellの抽象絵画。Knollと現代家具の共演。Marianne Strengellの織布。Picasso、Rouault、Matisseの版画 Buchholz Gallery提供 。
2月20日 – パンアメリカン展:ペルーのラグ、ラマ毛皮のラグ、大きな円形トレイ、陶製ボウル、ひょうたん。
3月16日 – 絵やおもちゃなど。子どもや子ども部屋向けの版画、ファブリック、おもちゃ展。
4月10日 – James Prestini作品展。
5月8日 – Alexander Calder、Harry Bertoiaなどによるジュエリー展。
6月8日 – Henry Moore現代ファブリック展 Ascher London Ltd.協賛 。
9月17日 – ガラス、テキスタイル、大理石、木、わら、陶器を使ったイタリア工芸品展。
11月13日 – 米国、中国、フィンランド、インド、イタリア、メキシコ、ポルトガル、スウェーデンの箱とギフト展。
整理整頓されたGirardの各オフィスには、一度に一つの作業にのみ集中するという彼のスタイルが反映されていました。彼は、数多くのプロジェクトにまたがる多くの資料を、細部にわたり詳細に分類して、引き出しや棚に整頓していました。アシスタントのKarl Taniは、サンタフェのオフィスについて「スタジオは、今からHouse & Garden誌が撮影にくるような、常に整頓された状態でした。彼のデスクには、いつも1つのアイテムしかありません」と述べています。Girardの整理整頓能力は、周囲の人が真似できるものではありませんでした。ですが、それは彼自身のルールであって、他人に同じことを求める厳格さがあったわけではありません。たとえば、嵐を怖がる大型の愛犬が、嵐の予兆におびえて安全な場所を探そうとオフィス内を走りまわってテーブルや棚にぶつかり、資料などが散らかっても気にしませんでした。
サンタフェのスタジオで、Girardによる精密なデザインの多くを形にしたのは、熟練した職人そして大工でもあるDocでした。彼は、非常に優れた才能と意欲を持った賢い職人で、Girardの創造的探求の実現をサポートした、有能なアシスタントの一人でした。Girardは、スタジオに多数の社員を雇うのではなく、少数精鋭で優秀な人材を確保して、彼らの才能を最大限に活用していました。Girardの家具の製品ラインのプレス写真を撮影するために、Herman Millerからニューヨークの写真家が派遣されてきた際は、GirardはDocとともにスタジオの外に大きな光溢れるテントを設けて、そこに家具を配置しました。さらにGirardは、この撮影のためにHerman Millerがまだ手掛けていないラグにまで構想を広げていました。Docに依頼して地元のショップからカーペットの端切れを集め、その中から黄褐色、茶色、黒の色調の端切れを選び、Docがそれを約3.8cmにカットしてGirardが考案したパターンに沿って大きな合板に接着しました。その結果、フェイクとはいえ、圧倒的な存在感を放つ美しいラグが出来上がりました。
Girardは、1940年代にミシガン州グロースポワントの人々のグループを2つのスケールで撮影し、印刷して切り取り、3Dモデルに組み込みました。
また、Girardはこの写真に時計を含めるというアイデアも思い付きました。彼は典型的なデスクトップのフリップ時計を選びましたが、セットの大きさに見合うように約122cmの高さのスタンドに取り付けました。さらにユニークさを演出するために、GirardはDocに複雑なカバーの作成を打診し、肉屋で材料となる大きな牛の骨を買ってくるよう依頼したのです。Docは、買ってきた骨を煮込んで柔らかくし、非常に薄くかつ正確にスライスしました。そして、この薄片をおよそ2.5cm四方の大きさにカットして、時計を囲むように注意深く接着し、かすかな質感のある骨のモザイクを作り上げました。なんとも面白いものが完成し、ほとんどの人は気付かなかったのですが、Girardは非常に満足していました。アシスタントのTaniはこの出来事について、「その時計が使われたのは、このとき1回限りでした。そして、ページに掲載されたのは、わずか6mmという小さなスペースだったのです。彼は、こうした細部に信じられないほどのこだわりを持っていたのです」と振り返りました。
時間の経過とともに、スタジオでのGirardの仕事は増える一方でした。Girardは、あらゆるものが蓄積されていく過程すらも仕事の一部として楽しんでいたようです。物理的な面では、彼は楽しくエレガントで、ユーモラスな一面を併せ持つ実用的なストレージをデザインしました。Girardがカスタマイズした収納デザインの多くを組み立てたのはDocです。その中には、ラベルのためのスペースがなんとか確保された高さわずか2.5cmの引き出しもありました Girardの引き出しには整頓のためのラベルが欠かせませんでした 。Girardは、大きな物のための引き出しも数え切れないほどデザインしました。インテリアデザイン、グラフィック、テキスタイル、プロダクトデザイン、ディスプレイデザインなど、非常に幅広いプロジェクトを個別に、ときには同時に進めるために、彼は常に十分な素材を確保しておく必要がありました。Girardの資料には、プロジェクトのモックアップ用のさまざまなサイズの人間の切り抜き、面白いフォントの描画や印刷サンプルがあり、棚には写真集など山積みでした。また、ユニークな彫刻が施されたドアノブ、お気に入りのゴム印、色とりどりのカードに記載された回文、紙のラベル、ミニチュアフード、小石の入った瓶、コプト教会の十字架、同じ単語を複数の言語でタイプしたリストもありました。こうしたちょっとしたアイテムも、Girardにとっては重要かつ必要なツールでした。かつて、「私は専門化されていないことを専門としている」と冗談めかして自分の物事への欲求について語ったことがありましたが、彼は専門性が高く、幅広い分野において秀でた人物でした。
Girardはそれぞれのスタジオで、あらゆるものが簡単に取り出せるよう、専用の引き出しやファイルを考案しました。また、増え続ける彼自身のテキスタイルと壁紙コレクションのアーカイブ用のストレージも設計しました。それらのサンプルは細長い直立した箱や、息子がオフィスの整頓を手伝ったときに組み立てた厚い段ボール製のビール箱に入れて保管されていました。それぞれの箱の外側には、生地の端切れが貼り付けられており、中身は一目瞭然です。
Girardが注力した最も大掛かりなストレージ作業は、重要な民芸品コレクションの1つに数えられるであろう、彼がこれまでに収集した膨大な民芸品に関するものでした。Girardは、そのキャリアを通じて、世界各地のあらゆる民芸品を収集していました。Girardのアシスタントは、サンタフェのオフィスでかなりの量の民芸品に触れていました。アシスタントのLesly Carrはこう述べています。
彼は何かを簡単に捨てる人ではありませんでした。そして写真のような鮮明な記憶を持っていたようです。細部を具体的に覚えていて、見つけてほしいものを完璧に説明することができました。彼は「コプト教会の十字架で、これこれの特徴があるものがいい」とか、「あそこのへこみがあるものがいい」といった指示を出すので、それからカタログシステムを検索します。すべての箱には完璧なラベルが付けられているので、コプト教会の十字架を例にとるなら、多数の箱が該当するため見つけ出すのに数時間かかることもありました。箱が見つかったらはしごに登ってそれを下ろし、すべてのアイテムを開梱して、彼が探しているものを見つけるのです。
自宅の敷地内にGirardの独立したワークスペースがあるサンタフェでは、妻のSusanが、彼に仕事の手を止めて昼食を食べるよう呼びかけるためのインターホンを設置しました。Girardのプロジェクトのペースに合わせ、彼自身の生来の好奇心とアイデアを探求したいという願望を満たすためには、スタジオを効率的に運営する必要がありました。彼のために働いた経験のある人は、スタジオは楽しい雰囲気で、各自がタイムリーに自分の仕事を完了することが期待事項だったと話します。Girardは、その人に業務を遂行する能力があると認めれば、完全に仕事のやり方を任せました。彼は家族と過ごす時間も優先していました。彼のスタジオは整頓された創造のための場所でしたが、彼の子供たちがタスクに参加したい場合はいつでも歓迎されました。午後はほとんど自宅で過ごし、脅威のスピードで仕事をこなしていたGirard。翌朝、出社したスタッフは、短い時間で彼が成し遂げた信じられないほどの仕事量に驚くばかりでした。毎日、Girardが大量の仕事をこなせていた要因は、コンスタントに作業を進めていたことと、それぞれのプロジェクトに対して決断力を発揮していたことにほかなりません。
抜粋元 Alexander Girard: Let the Sun In © 2024 by Todd Oldham and Kiera Coffee.Phaidonの許可を得て複製。All rights reserved. 無断複写・転載を禁じます。